院長プロフィール
【出身地】 | : | 東京都稲城市 | |
【生年月日】 | : | 昭和45年5月23日 | |
【血液型】 | : | A型 | |
【経歴】 | : | 1995年 | 積水化学工業(株)の系列子会社で営業、システムを担当 |
2003年 | 大川カイロプラクティック専門学院入学 | ||
2005年 | 大川カイロプラクティック専門学院卒業 | ||
宝塚市 旭カイロプラクティック院(現在は閉院)に勤務 | |||
2010年 | 川崎市高津区に溝の口カイロプラクティック院を開院し現在に至る | ||
【資格・特技】 | : | 日本カイロプラクティック医学協会認定カイロプラクター | |
柔道初段 | |||
【手のサイズ】 | : | 広げたときに25cmある大きな手でガッチリ施術します。 |
私がカイロプラクターを志した理由
私が整体、カイロプラクティックの道を目指すようになったきっかけです。
少し長くなりますが、よろしければお付き合いください。
私は社会に出て、はじめからこの整体・カイロプラクティックの仕事に就いていたのではありません。
東京のシステム系の会社に勤務していた私は、パソコンとにらめっこをする日々の積み重ねから、肩こりや首の痛みを訴えるようになりました。
2001年頃から本格的に痛みに悩みはじめ、最初は近所の整体へ通っていましたが、全然症状が改善しませんでした。
かなりの回数を通った結果、ほかの整体を探すようになり、そこへ行っても同じことの繰り返し。
新しい整体や治療院を見つけては、今度こそは良くなって欲しいと願っては変わらない症状に、もうずっと首が痛いままなのかとあきらめていたところ、関西の宝塚に
宝塚歌劇の劇団員さんたちも通っているという、カイロプラクティックのすごい先生がいらっしゃるという情報を聞きました。
早速、週末に予約を取って東京から宝塚まで行きました。
いざ施術を受けてみると、そこの先生の施術の仕方はとても衝撃的、まさに身体の芯まで響く施術で、この先生なら今までの悩みを一掃してくれそうな内容でした。
ただ、場所が場所だけにちょくちょく通えるものではありません。
なので、東京でも腕の良い先生を教えていただき、東京の先生と宝塚の先生の両方の先生方に診ていただく形をしばらく取りました。
東京の先生もかなり親身になって施術してくださいました。
その先生とは品川区にあるカイロプラクティック・整体院「とごし銀座院」の安藤院長です。
今でも私の体の調子を整えていただきに通っています。
1回、2回でスッキリ治ったということではなく、何回通ったという回数は覚えていませんが、気付いたときには首の痛みなど全く無くなっていたことだけは覚えています。
しかも月に1回は必ずあった偏頭痛も全くなくなり、二十歳頃から悩まされていたギックリ腰や慢性腰痛もだいぶ軽減することができ、身体全体が元から元気になったという実感をおぼえました。
その先生方からは、整体やカイロプラクティックの施術は悪いところを改善するだけでなく、同じ痛みを繰り返さないためにも定期的な身体のメンテナンスが必要だ、ということを教えていただきました。まさに、その施術法が私の体にぴったりあったのだと思います。
なので、初めて施術を受けてから2週間に一度の施術はカイロプラクティックの学校へ通うまでの3年間一度も欠かしたことはありませんでした。
それからというもの、その先生方とはとても親しくさせていただき、身体の痛みや悩みを取り除き、人々に元気を与える先生方の仕事にとても興味を持つようになりました。
それから徐々に、そんな先生方と同じような素晴らしい仕事を私もしたいと思うようになりました。そこから転職を考え、先生からカイロプラクティックの学校を紹介していただき、2003年に大川カイロプラクティック専門学院(現在は閉校)に入学しました。
ここで2年間、会社勤めをしながらカイロプラクティックの基礎を学び、卒業後の2005年から宝塚でお世話になった先生の整体・カイロプラクティック院(現在は閉院されています)で修行をさせていただきました。
修行中、ヒシヒシと感じたことは、学校で学んだことは本当に基礎の基礎、実践では確かな技術と経験が必要であるということです。
並大抵の努力では、その確かな技術を自分の物にできません。
最初のころは施術で使う指や手首は熱をもって腫れあがり、毎晩アイシングをして寝る日の繰り返しでした。
しかし、日々の努力の積み重ねから徐々に自分の技術に自信を持つようになり、自分の目指す施術方法を確立することができるようになりました。
結局、5年間こちらの治療院でお世話になり、2010年に川崎市高津区にて現在の「溝の口カイロプラクティック院」を開院することができました。
溝の口は学生時代からずっと通学・通勤で利用していた街でした。
再開発が行われるずっと前から街の変遷を見てきましたし、現在ではとても賑やかで活気のある街ということ、何よりも昔からの馴染みのある街ということで、この地に開院することに決めました。
現在も、自分が患者として通っていた時のこと、修行時代に苦労したことを常に心の中に持ち、日々、技術に磨きをかけることに精進し、初心を忘れず、来ていただいた患者さんに精神誠意、接することを忘れずに施術に取り組ませていただいております。