大山街道 〜その3〜 【2013年5月17日】
さて、今回の「のくちぃ散歩」は「大山街道〜その2〜」です。前回の二子神社から大山街道をさらに南下して高津方面へぶらりとしてみました。 |
光明寺
少し進んでいくと大山街道の右側に「光明寺」というお寺があります。
見慣れてきた「川崎歴史ガイド」の標識によると、
「光明寺と二子学舎」
浄土真宗光明寺。江戸初期に二子塚から移された。農民たちも一緒に移住し、二子村を形づくっていく。明治7〜9年には「二子学舎」が置かれ、近代小学校教育の場となった。
とあります。
ここで出てくる「二子塚」とは、現在の高津区二子5丁目、6丁目付近にかつて2つの古墳があり、そこが「二子塚」と呼ばれていたそうです。
その町内には「二子塚公園」や二ヶ領用水に架かる橋「二子塚橋」などとして名称も残っているようです。こちらはまた別の機会に訪れてみようと思います。
この光明寺には、大貫雪之助の墓があります。
この大貫雪之助とは前回紹介した岡本かの子(岡本太郎の母)のお兄さんだそうです。
この大貫雪之助は第1高等学校在学中に文才を認められ、与謝野鉄幹・昌子夫妻の「新詩社」に参加し、東京帝国大学(現在の東京大学)在学中に活躍されたそうですが、大学を卒業した年に若くして病で亡くなられたそうです。
この光明寺の大山街道を挟んだ向かいに大貫家があったそうです。
そういえば、与謝野鉄幹は「久地梅林公園」の文学碑の説明でも登場してきましたね。皆さん、この辺りにゆかりのある方なのですね。
山門をくぐると正面に本堂があり、その左奥に墓地がありました。
写真は控えましたが、その奥には大きな楠があり、川崎市の「まちの樹50選」の1つとされているそうです。
また、山門と本堂の間の左側には鐘楼がありました。なかなか趣のある鐘楼ですね。
最近は街中で鐘の音を聞いたことがありませんが、どういう時に撞くのでしょうかね。一度この鐘の音を聞いてみたいものです。
大貫家跡地(二子二丁目公園)
その光明時の向かいにあった大貫家跡地は二子二丁目公園となっています。
こちらの「川崎歴史ガイド」によりますと
「大貫家の人々」
大貫家は岡本かの子の生家。若くして逝った兄・雪之助は藤村門下で、谷崎潤一郎とも親交が深かった。かの子は、のちに漫画家岡本一平と結婚。岡本太郎はその長男である。
とあります。
この公園、非常にこじんまりとしており、ジャングルジムとベンチしかありませんが、近隣の子供や子連れのお母さん方の憩いの場となっているようです。
最近は空き地になると駐車場やマンションになってしまう事が多く、この大山街道沿いでもそのような光景をよく目にする中、このように昔からの名所が残されるとホッとしますね。
さらに進むと・・・
この大山街道、ところどころにそれを示す標識や道標が立てられています。 この写真は個人の方が立てられているのでしょうね。心が和みます。 |
少し進むと右側にひと際目立つ「釜」があります。直径は1.5mほどあるでしょうか。
こちらの飯島商店さんの看板にもなっているみたいで、
「この釜こそは、あのNHKテレビ大河ドラマ『黄金の日々』に出演し根津甚八ふんする市川五右衛門を釜ゆでにした代物である」
と立て看板がありました。
この飯島商店さん、地元の金物屋さんのようで、この大釜も以前は商品見本としていたそうです。
とにかくインパクトがあり目立ちます。
建物の構えも蔵造りとなっていて、この付近では名物になっているようです。
さてと、今回のお散歩はここまでとしましょう。
今回ぶらりと散策した周辺のマップです。 |
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【お散歩日 2013年5月17日】 |