【高津区の整体/カイロプラクティック】腰痛・肩こり・姿勢改善なら溝の口カイロプラクティック院

のくちぃ散歩

大山街道 〜その1〜 【2013年4月23日】

大山街道の概要

大山街道

大山街道とは江戸赤坂御門を起点として、神奈川県伊勢原市にある大山阿夫利神社までの街道となります。

 

この大山阿夫利神社のある大山は雨を降らせる雨乞いの神様の山として知られています。江戸時代中期には庶民の間で「大山詣り」の道として盛んに利用されるようになり、「大山道」「大山街道」として呼ばれるようになったそうです。

 

また、江戸時代後期には静岡県のお茶やワサビなどの産物、秦野のタバコ等の物資を江戸に運ぶ大切な輸送路として利用され、庶民の生活が豊かになってきてから賑やかになった街道だそうです。

 

そんな大山街道の溝の口近辺をぶらりと散策してみたいと思います。

 

二子橋

東京の世田谷区二子玉川から二子橋を渡ってくると、川崎市側の大山街道が始まります。

 

この二子橋は神奈川県の橋100選に選ばれているんですね。「かながわの橋100選」のプレートが貼ってありました。今までに数えきれないほど渡っている橋ですが、知りませんでした。

 

 

大山街道入口

東京側から橋を渡り切ると川崎市側の大山街道が始まります。信号を渡った右側の柵で囲われているところ、ここはつい最近までは派出所があったのですが、無くなっていました。老朽化もあって、二子新地駅前に移転したそうです。

 

では、この辺りから溝の口駅の方へ、ぶらりと散策してみましょう。

 

 

 

二子の渡し

二子の渡し場入口

当時、まだ川を渡る手段として橋が無い頃、東京と神奈川の県境を流れる多摩川を渡る手段としてこの「二子の渡し」が大山街道を通行する人の足として利用されていました。

 

その後、大正14年に二子橋が完成してから、この渡しも役割を終えたそうです。しかし、最近では区やこの近辺のイベント時には「二子の渡し体験」として復活させることもあるそうです。

 

二子の渡しの標識

ただ、今回ぶらりしていて、「二子の渡し場入口」の道標や、プレート型の標識ははありましたが、実際に多摩川の岸辺のどの辺りに船着き場があったのかは定かではありません。

 

現在の二子橋は昭和53年に架け替えられたそうで、その以前の橋で使われていた親柱が、この「二子の渡し」の標識と並んで建てられていました。

 

二子の渡しのレリーフ

この「二子の渡し」の標識と親柱は二子橋のたもとの信号を渡ったところの植え込みに、「二子の渡し場入口」の道標は大山街道へ入って少し先の信号を右に曲がったところにありました。

 

また、もう少し大山街道を先に進むと、左側のマンションの塀のところに当時の渡船場の様子を描いたレリーフが飾られていました。遠くには富士山も描かれていますね。

 

多摩川河川敷

その後、もう一度多摩川方面に戻り、河川敷をブラブラしてみましたが、やはり渡船場の跡らしきものは見当たりませんでした。

 

そして、この二子近辺の河川敷は俳優の市原隼人さんが出演していたドラマ「ROOKIES」でもちょくちょくロケ地としても使われていました。自分の知っているところがドラマで出ているのを見ると、ちょっとテンションが上がりますよね。

 

市原隼人さんと記念撮影

余談ですが、この市原隼人さんは溝の口のご出身で、今でも溝の口に住まわれているとのこと。ちょくちょくこの溝の口近辺にも出没するとのことで、今までも何度か街中でお見かけしたことがあります。

 

3年ほど前の話ですが、溝の口で偶然お見かけしたときに思い切って声をかけてみました。完全にプライベートな市原隼人さんでしたが、写真撮影も気軽に応じていただけ、テレビで見る市原隼人さんと全く変わらず、気さくで優しいお兄ちゃんと言った感じでした。左の写真はそのときに一緒に撮っていただいたものです。

 

 

二子神社と「岡本かの子文学碑」

岡本かの子文学碑(多摩川から)

この近辺の多摩川沿いの道を通った事がある方ならば、写真のような白いモヤモヤっと天に伸びるオブジェを目にしたことがあるのではないでしょうか。

 

これは、あの「芸術は爆発だ!」でおなじみの芸術家の故・岡本太郎さんがお母さんの岡本かの子さんに捧げた記念碑だそうです。

 

岡本かの子さんは大正、昭和期の小説家、歌人であり、明治22年(1889年)、二子に居を構える豪商の旧家、大貫家の長女として生まれ、少女時代をこの多摩川のほとりで過ごし、生涯にわたり多摩川を愛したそうです。

 

岡本かの子文学碑(境内から)

そのような背景から、多摩川を見下ろすように、この記念碑が建てられたそうです。ちなみに庭園風の築山と台座の設計は建築家の丹下健三さんがされたそうです。今の東京都庁を設計された方ですね。

 

この記念碑、どちらが正面なのか分からなかったのですが、川崎市多摩区の生田緑地にある岡本太郎美術館のシンボルタワーとなっている「母の塔」と向かい合うように設計されているそうです。
なので、そちら方面が正面だったんですね。

 

二子神社とかの子碑

紹介する順序が逆になってしまいましたが、この記念碑は二子神社の境内にあります。二子神社は大山街道側から参道があり、鳥居を二つくぐると社殿があります。

 

この二子神社の創立年代は不明であるとのことですが、現在の社殿は昭和18年に建築されたとのことです。
常駐する神職の方はいらっしゃらず、溝の口カイロプラクティック院の近くにある溝口神社が兼務しているらしいです。
ひっそりとした神社ですが、毎年10月9日に行なわれる例大祭には御神輿が出て多くの人で賑わうそうです。

 

その境内の右側に、小さな公園と先ほど紹介しました記念碑があります。

 

二子神社入口  二子神社と記念碑

 

 

今回はこの辺りまでとしましょう。
今回ぶらりと散策した周辺のマップです。ご参考になさってください。

 

次回は、さらに南へ下って行きたいと思います。

 

【お散歩日 2013年4月23日】

大山街道マップその1

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